近江・石田

今なお三成公の供養を続ける、その出生地
―――迫害と偏見の歴史を越えて―――


(石田・石田八幡社の一角)


三成、永禄三年、坂田郡石田村ニ生レ、幼名ヲ佐吉ト称ス。
夙ニ豊臣秀吉ニ仕へ、資性慧敏、治才群ニ絶ス。

(石田治部少輔出生地碑文より)





近江・石田――

今は滋賀県長浜市域になる、石田三成公の出生地です。
石田一族の出自には諸説ありますが、この地に勢力をもつ有力な家柄であったことは間違いありません。
守護・京極氏とは深い繋がりがあり、その被官であったとも、また北面の武士の系譜であったとも言われれます。

しかし、三成が関ヶ原で敗れ徳川の世となり、三成が奸臣視されると同時に、この地にも迫害の歴史が始まります。
現在、この町内には「石田」姓の家はありませんが、これは江戸期に改名させられたものであり、またこの時期は毎年「三成とは無関係である」旨の起請文を幕府へ出させられ続けたともいわれます。
ですが、幕府が倒れ明治になると、この地でも郷土の英傑としての三成を称えることができるようになりました。
今でも、この地では毎年三成公の命日になると、町内の方々によって供養祭(三成祭)が行われています。特に三成公没後400年にあたる西暦2000年の三成祭は、三日間にわたり盛大に行われました。
町内には、三成公の供養塔があり、関連の史跡が整備されています。また石田会館内には石田三成公顕彰会の事務局もあります。






  


            ――――石田付近の史跡

            石田付近に残る三成関係の史跡および三成公400年祭の点描です。



  


石田一族・供養塔

   石田町内・石田八幡社の傍らにある
   石田一族の供養塔です。
   この供養塔は昭和16年に隣接する八幡社の地中より
   出土した五輪塔を安置したものとのことす。
   五輪塔には永禄・天正年間の銘があり、
   また故意に破却したあとがあったそうです。
   これは江戸期の迫害の歴史の中で、石田一族関連の
   ものを土中に埋めたのであろう、と推測されることから、
   町内の方の手で発掘され安置されなおしています。
三成・句碑

   供養塔の敷地内には、
   三成の残紅葉の句碑などもある。
三成公産湯の井戸

   町内にある三成公産湯の井戸と
   伝えられるものです。

三成公供養祭(1)

   町内では、毎年三成公の命日に供養祭が行われています。
   これは没後400年祭の供養祭の点描です。
三成公供養祭(2)

   2000年の三成公没後400年祭は特に盛大に行われ
   大河ドラマ「葵三代」で三成役を演じられた江守徹氏の
   講演もありました。左の写真はその様子で会場は超満員
   でした。
三成公供養祭(3)

   おまけです。
   三成400年祭では、代表幹事もシンポジウム・パネラーに
   招待いただきました。
   ありがとうございました。
長浜駅前・出会いの像

   長浜駅前には有名な三献茶の逸話に因んだ、
   秀吉・三成の出会いの像があります。
   この逸話の信憑性には疑問がありますが
   秀吉の像とせず、三成・秀吉の像としたところに、
   地元の方の三成公への思いが窺えます。
   石田町へは、この駅前からバスで15分程度です。