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熊川倭城・石垣 釜山近郊の熊川には、倭館がおかれ古くから日本との 交流が深いところでした。 三成もまずこの地から、韓国へ足を踏み入れた事でしょう。 戦いの末期には、この地には小西行長らの手で大城塞が 築かれました。 その遺構は今も良好に残されています。 |
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碧蹄館の戦い・記念碑 ソウル近郊にある碧蹄館の戦いの碑です。 英語とハングルで戦いの様子が書かれています。 碧蹄館の戦いにおいて三成は、戦いに逸る諸将を抑え、 漢城近郊まで敵軍を引き寄せてから、 自軍を結集して反撃することで戦いを勝利に導きました。 |
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韓国国鉄郊外線・碧蹄駅 ソウル近郊にありながら、1日4本しか列車のない 超ローカル線です。 古戦場には一番近い駅ですが、 時間を効率的に使うには地下鉄3号線で高陽市街に行き、 タクシーを利用すべきかも知れません。 |
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碧蹄館古戦場付近の情景 写真に見える山が、先鋒の立花、小早川勢らが 布陣した山 (小丸山)です。 付近はこのような小丘陵が点在しています。 日本側は川を越え、背水の陣を敷きました。 |
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碧蹄館跡 戦いの名前の由来となった碧蹄館(中国使節の宿館) 跡です。 古戦場からはやや北に離れた集落の中にあります。 特に案内は無いので、辿り付くのは少し大変です。 |
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幸州山城・戦抄記念碑 三成が城攻めの際に負傷した、幸州山城跡に立つ 韓国側の戦抄記念碑です。 韓国にとって、この幸州山城は、朝鮮の役の三大戦勝の 一つであり、城跡は綺麗に整備され、 観光客も多く訪れています。 |
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幸州山城・案内板 幸州山城入り口にある案内板です。 この城は漢江に沿う独立丘陵にある要害です。 城内には土塁・記念館等があります。 |
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西生浦城・石垣 韓国東海岸沿いにある西生浦城です。 加藤清正が築城し、長くその居城となっていました。 主戦派として三成と対立した清正も、戦い末期には、 この城に押し込められた状態となりました。 |
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西生浦城・本丸付近 同じく西生浦城の本丸付近です。 城は綺麗に整備されています。 縄張りの巧緻さと石垣の見事さは、 さすが築城名人清正の城と思わせます。 |
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順天城・本丸台 日本側西側の拠点・順天城本丸です。 本丸以外にも雄大な遺構が残っています。 この城は、小西行長が戦いの最後まで 在城した城です。 |